志戸呂焼の茶道具・食器専門店遠州志戸呂利陶窯

志戸呂焼の歴史

静岡県島田市金谷は、昔この一帯が「遠江国質侶庄金屋郷」と呼ばれる朝廷の御料地でした。その地名から、志戸呂焼(しどろやき)と名付けられました。
志戸呂焼の歴史は古く、この一帯では十二世紀前半(平安時代)から十三世紀後半(鎌倉時代)には山茶碗などが焼かれており、きつね沢古窯等が発掘されています。
十六世紀後半の天正十年(1582年)に駿河国を領有した徳川家康公が、美濃久尻の陶工・加藤庄右衛門影忠(後に五郎左衛門と改名)を招いたり、尾張瀬戸地方の陶工の移住によって、志戸呂焼の生産が本格的に行なわれたと考えられています。
その後、寛永年間(1624~1643年)に将軍家の茶道指南であった小堀遠州公が好みの茶器製作の御指導をなされ、すぐれた茶入・水指・茶碗・花入などを焼出されました。

志戸呂 菱水指
志戸呂 菱水指
遠州切形茶碗
遠州切形茶碗
志戸呂耳付茶入
志戸呂耳付茶入

小堀遠州公について

天正七 年(1579~1647)
孤篷庵大有宗甫と号す。
徳川家康公、秀忠公、家光公の三代に仕えた大名で、慶長十三年駿府城作事の功により、従五位下諸大夫遠江守に叙任されて以来「遠州」と呼ばれる。
遠州流茶道の祖であり、将軍家の茶道指南でもありました。
和歌に長じ書は藤原定家の流れをくみ、建築造園にも天賦の才を発揮されました。

志戸呂焼の特徴

志戸呂焼の特色はこの辺りで採れる粘土が鉄分の多い土のため、茶褐色の地肌に黄色味をおびた渋味のあるものと、深みのあるあめ釉等があります。
また、土質は硬く焼き締まり湿気を嫌う茶壷に最適といわれ、献上茶の茶壷に使われました。
釉薬にはこの辺りで採取される、「丹石」(にいし)と呼ばれる鉄分を多く含む赤い石が使われ、これも志戸呂焼の大きな特徴となっています。

丹石(にいし)
丹石(にいし)
原料(粘土)
原料(粘土)
黄土
黄土